第30回全国大会を振り返って
大会実行委員長 富野貴弘
実行委員 風間信隆
第30回全国大会は2015年8月27日~29日の3日間,明治大学駿河台キャンパスを会場として開催され,延べ3日間で90名を超える会員にご参加いただいた。8月27日には株式会社川合染工場とホリゾン株式会社・東京ニット工場の工場見学を行った。前者は1951年創業以来染色一筋に歩まれてきた企業であり,後者は東亜ジャケット株式会社(創業1899年‐明治32年)の繊維事業を中国企業であるホリゾン株式会社が出資する形で,「東京ニット工場」として再出発した工場である。現在,島精機製のコンピューター編機,ホールガーメントミニコンピューター編機等,高度の自動化生産を実現し,サンプル及び量産製品を迅速に生産できる体制を整えており,工場というイメージより「オフィス」のような空間で編み機が静かに自動でニット製品を製造しているという現場であった。特に印象的であったのは,いずれも後継者の育成・事業承継の問題,競争環境に熾烈化の中で生き残りの難しさであり,こうした染色技術・ニット技術を支える職業養成・専門研究機関が我が国において消失しているという実態であった。しかし,同時に,こうした困難な状況にあっても,我が国のものづくりを支える現場では必死に改善とイノベーションを通じて生き残ろうという,したたかなたくましさが依然として残っていることも印象的であった。ホリゾンの東京工場長・東亜ジャケット株式会社社長の中村明義氏には大会最終日に『日本のニット産業はどのように変わったのか?』というテーマで記念講演も頂いた。
今大会は,30回という節目(学会創設28周年)を迎えたこともあって,大会2日目の会員総会前に,本誌にも収録されている30周年記念シンポジウムが開催された。当日は,第3・4期会長の鈴木幸毅会員,第6期会長平松茂美会員,第8期会長の貫隆夫会員そして第9期会長の羽石寛寿会員に「工業経営研究の歩みと展望」と題して各期の会長としての立場からご講演をいただいた。本シンポジウムを通して,本学会がどのような経緯で誕生したのか,そしてどのようなアイデンティティを有するのか,各期の会長がいかなる課題に取り組まれたのかの一端を明らかにすることができたと考えている。なお当初,本シンポジウムにご参加いただくことになっていた第5期会長の森健一会員が6月にご逝去された。ここに謹んで心からのご冥福をお祈りしたい。
大会案内において,これまでの「失われた20年」と言われた時代の中で,日本のものづくりはどのような変化を遂げてきたか,実際に何が失われ,逆に何が生まれたのか,そうした問題について我々研究者は,今こそ冷徹かつ地に足の着いた議論を目指し,統一論題のテーマを「ものづくり革新と工業経営研究の課題」とした。この統一論題のもとで原拓志 (神戸大学)会員による「日本の工業経営の課題-イノベーション研究の視点から-」,劉仁傑 (台湾東海大学) 会員による「台湾におけるモノづくり革新-分業型協働から共創型協働へ-」そして井口知栄 (慶應義塾大学)会員による「日系多国籍企業のイノベーション・システム-在東南アジア研究開発拠点の役割と企業間連携の視点から-」と題する報告が行われた。当日は的確な論点整理と相まって活発な議論が展開された。最初の原会員の報告は,イノベーションの視点から工業経営の課題について3つの課題を論じる中で,産業・事業・製品ごとの価値創出の論理的メカニズムを不断に作り変えていくことの重要性が強調されている。第2の劉会員の報告は台湾のモノづくり革新の進化を組織内外の「分業型」協働関係から「共創型」協業関係へと進化させ,顧客価値を能動的に創出していくことが強調されるとともに,この「共創型」協働関係が顧客価値を創出している点を台湾の自転車とパナソニックのPC事業の事例研究に基づいて実証的に解明している。第3の井口会員の報告は多国籍企業のイノベーション・システムについて,在東南アジアの研究開発拠点の役割に関する実証的研究に依拠して多国籍企業グループ内のグローバル・ネットワークの一部として戦略的知識創造型の役割を持つ「能力創造型の海外子会社」や「ホスト国から技術や知識を吸収し,本国へ移転するようなケイパビリティを持つ子会社」が出現していることを明らかにしている。こうした報告はいずれも従来のイノベーション研究に新しい視座をもたらすものであり,我が国のモノづくりの今後の針路に重要な手掛かりを与えるものと確信している。
自由論題報告については,4会場で院生報告3本を含む,20本の報告と活発な議論が行なわれた。開催校として,30回という節目になる大会を開催させて頂いたことを光栄に感じると同時に,明治大学に所属する実行委員一丸となって大会の設営に当たったが,気持ばかりで現実には大会参加者の皆様に何かとご不便をおかけしたのではないかと危惧している。この大会がさらに次の30年の工業経営研究の飛躍の起点として貢献できたら望外の喜びである。